人間失格
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「恥じの多い生涯を送ってきました」三枚の奇怪な写真と共に渡された睡眠薬中毒者の手記には、その陰惨な反省が克明に描かれていた。無邪気さを装って周囲をあざむいた少年時代。次々と女性と関わり、自殺未遂を繰り返しながら薬物におぼれていくその姿。「人間失格」はまさに太宰治の自伝であり遺書であった。作品完成の一か月後、彼は自らの命を絶つ。時代を超えて読み継がれる永遠の青春文学。
太宰治は空腹を感じることがない、人間の営みが分からないと言っていたが、厨二病をこじらせていたのか?自分が特別だと思われたい?この文章を小説の最初に、"第一の""手記"として書くことにどのような意図があるのか?それともたまたま?
恐らくこの本を子供の頃に読んでいたら、相当感化されただろう。第一の手記を読んだだけでそう思う。昔の自分の感情と、太宰治の書いた文章で綴られている感情はかなり似ている。太宰治がまふまふ的存在になっていた可能性すらある。末恐ろしい。ありがとうまふまふさん。
当たり前を、水が低いところに向かって流れることを肯定するようにと喩えるの好き。
この物語はフィクションなのだろうか。太宰治の経歴を見る限りは名前も違うし、最後の解説のところでも誇張して表現されているところがあると書いてあるがどこまでが本当でどこからがフィクションなのかがあまり分からない。
過去に付き合った女性の顔は忘れてしまったが、その女性と行った寿司やの大将の顔が忘れられないと書いてあったが、最近忘却の生理学という本を読んだのもあって、過去の記憶は時間とともに美化されるが、太宰治は美化された結果すさまじい恐怖を抱いたという記憶が残ったわけで、人によってどのような方向に美化されるのかが変わるのかなと感じた。普通は良い方向に美化されるが、太宰は悪い方向に美化されているように感じる。多分実際のすし屋の大将は太宰の記憶にあるほど怖いものではないと思う。しかし、そもそも太宰にとっては、普通の人が良いと思う方向が悪い方向になっていたということを示しているのではないかと感じた。
竹一という少年がかなり印象的に描写されていることに少し驚いた。この竹一との記憶も、時間の忘却によって美化されたものだったのだろうか。
この本は青春文学だと紹介されていたが、自分はあまりそうは思わなかった。手記の前半部分は青春文学だが、残りの大部分は成人以降の話で、青春とは言えないのではないか。それとも自分の青春文学の認識が誤っているだけなのか。最後の解説で、葉蔵(主人公)は少年のままだった。父親にはなれなかったと書いており、そういう意味で青春文学なのかなとも思った。父親になるということは、理不尽なルールや正解のない問題に対して「そういうものだ」と目をつぶり、妥協して生きていく、社会に順応して生きていくということではないかという解釈もできる。それを拒否し続け、答えのないような問いに妥協せずに答えを探し続けた。だから青春文学というのかなと思った。青春とは、純粋さゆえの社会との軋轢なのではないか。過去の有名な哲学者に自殺者が多いのは、そういうことなのではないか。そういうことをきっちり言語化できるような思考力・語彙力が欲しい。だからそのような問題を解決したいと思えば思うほど、死への距離が近づいて行ってしまうのか。それとも死は逃げなのだろうか。でも超有名な人でも死に追いやられてしまうほど強大な問題なのだから、そもそも人間に解決は無理なのだろうか。
感情を海に例える表現が所々にあったが、読んでいるときは何となくいいたとえ方だなぐらいしか思っていなかったが、解説を読んで、海はすべてを飲み込んでなにも驚くことなく包み込み、雄大な波音を立てているものだという認識で見ると、その時の主人公の感情がまた違ったものとして見えるのかなと感じた。私の海のイメージは、抗いようのないような力の差がある敵のイメージ。
読了後の感想:
読んでいる途中は、評価されているほどすごいモノではないなという印象だったが、後ろの解説や他の読者の反応・考察を見ていく中で、考えれば考えるほど面白い小説だなと感じることができた。
特に、正解のない問いについて、どのように考えるべきなのか。人間が生きるとはどういうことなのかを、社会的な立場と共に深く考えさせられる一冊だった。
また、読んでいるバックグラウンドによって感想が違うと思うので、人生の節々で読み返したいなと感じた。