イン・ザ・メガチャーチ
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本屋大賞にノミネートされたという話題で知っていたが、「推し活」に夢中な人は読んではいけないと評判が書かれていて購入。この本を見たときが推し活と宗教について考えているときだったので、即購入した。
本全体のページ数が444なのは意図的なのだろうか。もし自分が出版社ならば、不吉な数字だった場合は変更を加えると思う。
同じ推しを追う友達とすっぴんでアイスを語り合えるなんて幸せだという表現、どうやったら男性の脳内からこんな表現を出せるんだろうと感嘆した。
章のフックが、償却資産税のファイルが削除されているなんて、斬新すぎると感じた。どんな感性を持っていればそんな切り出し方ができるのだろうか。
これは、話の流れ的に、推し活は宗教だという話に帰着するのだろうか、それとも予想だにしない結末になる?
本文には、東京の男性はカフェでお茶をしておしゃべりしない、でも関西ではしている人を見かけるみたいな記述があったけど、本当に関西でもあるのか?無くないか?と思ったけど、自分がしてた。
正解のない問題に対して、様々な角度から考え、精錬された思考を伝えているような気がしてきた。この物語の終着点が350pまで読んでもまだ見えない。
本を読む限りは、昔は頑張れば報われる時代、つまり間違えなければ成功できる時代だったが。今は間違わないようにしても恥をかかないだけで成功しない、そもそも成功できない時代だと書かれていた。それには同意するが、そもそも、昔と今で何が違うんだろうと疑問に思った。昔と今で何がそんなに分かったのか、何も変わっていないのではないかと思う。昔は発展途上で成長曲線が単調増加だったものが、今になって終端速度みたいになってきているのではないか、そのせいでそんなことになっているのではないかとも思う。ただ、今の日本人に野心がないというは当たっていて、諸外国と比べて伸びていないというのも事実なのだろう。そもそも、伸びていると言われている国でも日本と同じような状況なのだろうか、それとも伸びている国には成功があるのだろうか。そもそも、成功の言葉の定義は今と昔で同じなのだろうか。これからの未来はどうなっていくんだろう、どうなっていきたいんだろう、どうしていけばいいんだろう。
まさかのバットエンド?
読了後の感想:
推し活に過剰になるのは宗教だから悪だという結論がこの小説の終着点だと思っていた。確かにそうだったが、悪だという結論に一直線に進むのではなく、あらゆるところに寄り道をしながら(寄り道といっても、適当な話ではなくある分野の深い所での議論だが)、悪と善の両方に振動しながら物語が進んでいき、最後、久保田がちゃみするの顔をみてどう思うかの直前で話が終わったので、結局久保田が推し活は悪だと思ったのか、善だと思ったのかは明らかにされていない。普通に読めば悪だと思いさらに絶望すると予想するだろうけれど、それより前に善と悪でかなり揺さぶられたので、どちらでも解釈できてしまうし、どちらでも自然だと思えてしまう。そういう、どっちつかずな主張は得てして見ている人からは不満を抱く(結局どっちなんだよと野次られる)が、朝井リョウが書いたこの物語は不満ではなく、納得感を得ることができて不思議に感じた。点で語るのではなく、線で語るというのは、こういうことなのかもしれないなと感じた。
他の人感想を見ていると、推し活で金を溶かすために嘘の物語をPRしている制作側に戦慄したと書いてあったが、別にそれは普通のことでは?みんな分かっているのでは?と感じた。
作者は、「両義性」を大事にしたい、「作者がどの考えを推奨しているのかが分からない方がいい」と発言している。これは、作者どれが正解か分からない、そもそも正解はないと考えているからではないかと感じた。