何者

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何者

著者名: 朝井 リョウ

ページ数: 346

種類: 小説

おすすめ度: ★3

読了日: -

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読書中の感想:
やっぱり表現が好きというか、物事・現象・事象のとらえ方が自分と似ている?(さすがに自意識過剰か)文字を読むだけで情景が鮮明に思い浮かぶし、自分も過去にそう感じた!みたいな表現が多い。読んでいて面白い。→エッセイも読んでみたい。

主人公?の拓斗は情報リテラシーが高いらしい。部活を卒業した時にもらえる色紙を見ながら"こういう、自分はこんなにもがんばってきたと、自分はこんなにも愛されていると、そう思われるために思い出を外へ外へと発信する人には他人を気持ちを想像する気持ちがない"と言っていた。こういうものを無関係な人に見せたとたん冷めるから。過去に何かがあったのか、単に心配性なだけなのか、卑屈なのか。こういう若い人って多いのかな。おそらくこれが、タイトルである"何者"に関係している文章。自分が"何者"であるかをどのように表現するかみたいな話になるのかな。拓斗の気持ちはストーリーを通じて変わっていくのかそのままなのか。自分はさすがに"自分はこんなにもがんばってきたと、自分はこんなにも愛されている"と無関係な人に向けて発信するのはやめた方がいいと思うけど、"自分はこういう人間なんです"みたいなことを発信している人にはポジティブなイメージを持つし、自分はそういう発信をしていきたいし、そういう発信をしている人を見るのが好き。自分のこの思想も物語を通して変わっていくのかも楽しみ。

SNSのハンドルネームの「漢字をひらがなにする、たったそれだけのことで何者かになれた日々は、もう遥か昔のことのようだ」は昔のインターネットはそうだったけどいつの間にか変わってしまったという意味なのか、昔は漢字をひらがなにする、たったそれだけのことで何者かになれると思っていたけどなれないことに気づいてしまったかどっちの意味だろう。拓人の性格を加味するなら後者かな?

「いつからか俺たちは、短い言葉で自分を表現しなければならなくなった。フェイスブックやブログのトップページでは、わかりやすく、かつ簡潔に。」とあるが、この表現ではまるで、昔はもっと長い言葉で自分を表現していたかのように読み取れる。そんなわけないだろう。そもそも自分が何者であるかは言語化さえしていなかったはず。拓人は自分は他人よりも物事を深く知っていて有能だと思う節があるのでは?そういう、本質を突いている"風"の主張に感化されているのでは?これは自分が拓人が嫌いだからこんな否定ばっかり出てくる?それとも拓人が過去の自分に似ているから嫌気がさしている?拓人が一番、何者でもないのではないだろうか。過去の自分みたいに(今もそうかもしれないけど)