二木先生

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二木先生

著者名: 夏木志朋

ページ数: 366

種類: 小説

おすすめ度: ★5

読了日: 2026年1月29日

一言要約:
普通”になりたいのではなく、“普通の皮を被って生き延びたい”——そんな痛みと知恵が、教師と生徒の危うい取引の中で立ち上がる。異星人として投げ出されたような孤独、流行を共有できない疎外感、自己肯定の有無が人を静かにも暴れさせもすること。読みながら何度も自分の過去を掘り返された。最後の余韻はすっきりしないのに、だからこそ考え続けてしまう。

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読書中の感想:
「誰からも馬鹿にされてしまう高校生の田井中は、自分を地球にひとり投げ出された異星人のように感じていた。」のところ、自分も小学生の時に同じようなことを思っていたなぁと思いだした。いつの間にかその気持ちが消えていた?それともそれを普通として受け入れた?

やはり変わっている人はいじめられるのか。自分も変わり替わっていると思うが、広一みたいにはいじめられてこなかった。幸運だっただけか、何か違うのか。自分に自信があった?ほかの能力が秀でていた?

人とあまりコミュニケーションを取りたくないと思っている人は、その人の周りにいる人と馬が合わない・能力が低いと思っているから話したくないと思っているだけなのでは?人はみな、コミュニケーションを取りたいという欲求があるのではないか。心の中では喋っているわけだし。そもそも周りとコミュニケーションを取りたくない、時間の無駄だと思うことは自分だけ得をしたいという思考と同じなのではないか。イソップ寓話の「酸っぱい葡萄」のように、「本当は手に入れたいが、手に入らない(うまく話せない)から、価値がないものだと思い込む」という心理(合理化)は確かに存在する。

広一と自分の違うところは、自分は「周りから変わっているねと言われていたし、自分と似ている人が周りにいなかった」が、広一は「周りから変わっているねと言われていたが、自分と似ている人が周りにいた」から、何が変わっているんだろうと葛藤して、懊悩して、コミュニケーションを嫌ってしまったのかなと思う。しかも、自分は「小学生のころなどの子供のころは親に自分が変わっていると思われたくなくて隠していた」が、広一は「親に既にバレていて、親もそれを肯定していた」。自分と広一が似た境遇かと思ったが、全く違う。

広一は「普通にしゃべれるようになるためには、流行りの音楽を聴く必要がある」と言った。自分が普通にしゃべっていて変と言われることと、自分が流行りの音楽を聴いて感動しないことが同じだと思ったから。この考えには少し感銘を受けた。

母が広一に、「遅くならないように気を付けて。暗くなると危ない」と忠告した意味が分からない。広一は誘拐なんてされないと言っていたが、母親は誘拐なんて言っていないので、広一の被害妄想が激しいという描写なのか?**「広一を、社会的不適合者として『守らなければならない弱者』扱いしている」**という残酷な無意識の表れかもしれません。

広一マジでおもろい。思考がおもろい。俺も広一みたいな思考をナチュラルにしたい。達観してるっていうか、人生が面白くなるような思考をしている。自分もこういう思考をしようと思えばできるが、意識してしないとこういう思考にならない。

ありえないと思うけど、二木先生は、あえて生徒にバレるために行動していたのだとしたら?そうなってくると、すごく面白い。

何かを認めてもらうためには何かをしなければいけない。積み上げなければいけない。だから自分はYoutubeをやっているのかな。

二木先生は言った。「広一には足りないものがある。自分を好きになることだ。」これを見た瞬間、自分と広一の違いが分かったような気になった。自分は自分のことが好き。だからここまで変わっていても楽しく生きていけている。

二木先生が言った、「自分を好きになりなさい。そしたらおとなしくしてくれるから」という言葉の意味があまり分からない。好きになることで大人しくなるとは思えない、むしろより活発になりそうなのに。何が大人しくしてくれるという意味なんだろう。敵対勢力?

読了後の感想:
すごい面白かった。小説特有の、最後に含みを持たせる終わり方は少し悶々としたが、色々考察してみようと思う。