スペードの3

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スペードの3

著者名: 朝井 リョウ

ページ数: 344

種類: 小説

おすすめ度: ★4

読了日: 2026年7月4日

一言要約:
弱い手札を強い物語で飾るのではなく、弱いまま場に出すことを描いた、嫉妬と承認欲求の小説。

この本を読む目的・テーマ:
「何者」の解説で、スペードの3が、より現代を描写していると書かれていたので、気になって購入。

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読書中の感想:
海闊劇場の名前には何か由来があるのか。

小学校の理科のエピソード("磁石で、砂鉄を動かすときに、私が砂鉄たちを支配しているんだ、操っているんだと思う感覚")には少し共感した。が、自分は学級委員みたいなタイプではなかったので、自分が学級委員だったらさらに人を操りたい欲が出ていたのかもしれない。よかった。今のところスペードの3要素は分からない。負け組が勝つ?ヒエラルキーを破壊する?

一章の2では陽キャ男子の壮太が主人公?美知代のことを名前ではなく委員長と役職名で呼んでいた。それに対して一章の3では美知代が新入社員のことを新入社員子と役職名で呼んでいた。美知代は壮太のことが好きだったから振る舞いや口癖を似せている?好きな人の仕草を真似したくなるのあるよね。それかな?それによって、振る舞いだけではなく、自分の考え方、思想もそちらに寄ってしまっている?(他人のことを役職で印象付けるみたいな思想)

"姫々で働いている忙しい美知代は、メッセージをすぐに既読にするわけにはいかない。"の部分に共感するとともに、こういう感情はなんなんだろうと感じた。強がり?自分のキャラを演じるため?今の自分はすぐ既読にすればいいじゃんと思うが、少なくとも高校生の時の自分は、メッセージが来ているのをわかっていてもすぐには既読にしなかった。SNSの登場により出てきた現象なのか、昔にも形は違えど本質的に同じ現象はあったのか。

磁石と砂鉄の関係を、推しに群がるファン(意訳)に喩えているのは、考えてみるとありきたりで、当たり前だなと思うんだけど、実際にゼロの状態から文章にしているのは朝井リョウすごいなと感じた

一章の、小学校時代の美知代の気持ちはかなりわかる。ただ、クラスの嫌われている子を見て『ブスじゃん』と思ったところは共感できなかった。自分がブス側だったから。もしも自分の顔が整っていたら、とんでもないモンスターになっていたかも。よかった。

"ぐ、ぐ、と足を踏み出していく。ゴムでできた上履きの底が、リノリウムの廊下をぎゅう、ぎゅう、と少しずつ少しずつ潰していく"という表現いいなとおもった。材質を知っているだけで、こんな面白い表現ができるなんて。もっと勉強しないといけないなと感じた。

一章のキーワードはふくらはぎ?

むつ美が美知代に1章の後半でトイレで言ったことは、自分が美知代の立場だったら発狂しているか、"こんなやつの言うことことなんか間違っている!"と自分を正当化してしまうと思う。すんなり?受け入れて、行動を改めることもできる美知代すごい。こういう、内面の誰にも見せたくない部分(表現があっているか分からないが)を小説の中で描くというのは、朝井リョウらしいと言っても良いのではないか。

一章で、主人公の問題発生→苦労する→改善するの、小説の1ループが終わった。主人公の美知代は自分を変えられてめでたしというところだろう。でも、本当にこれでめでたしなのか?それを見て、自分の生き方も改善しないとなと思っている自分はそれで本当にめでたしなのか?と思っていたら、二章は美知代の苦労し、改善のきっかけになったむつ美の話なので、この疑問について深掘りできるかも。楽しみ。

やはりスペードの3は、自分が持っている手札で、弱いものだった。弱い手札というのは、本書では山崎の読み方がやまざきではなくやまさきだというもの。この、弱いというものは、自分の中の手札の中で弱いとうものではなく、世間から見て弱いということだろう。大富豪でも全員が同じルール・基準で手札が配られ、ゲームをするのだから。だとすると、強いカードは何になるんだろう?首相であることとか?インターネットが普及して、自分の手札の弱さをより感じるようになっていて、自分の手札を出す、行動することが億劫になっているが、行動しないと変わらない。弱い手札でも出そう。革命は起こらないんだから。というのがこの本の一般的な感想だと思うし、現実を映し出していると言われるのも頷ける。ただ、もう少し深掘りしてみたい。ここでいう強いカードは何か、ローカルルールは何か、ルールを社会で共有しているという前提だが、本当にそうなのか?「社会で共通のルールはないと思っている人がいると思うけど、実は違うんだよ」ということを伝えようとしているのか。それか、強いカードは異なるが、弱いカードはだれしも持っていて、その弱いカードは社会で共通の認識(人によって解釈が異なるのではなく、全員同じ解釈をするもの)だと伝えたいのか。

ここから二章

坂町が珍しい苗字と書かれていたが、どこが?と思った。生頼とかは珍しい苗字だと思うけど、坂町はありふれてないか?

むつ美も、変わるきっかけは志津香だった。他人の偶然の行動で変わった。なのに、なぜ美知代にあんな偉そうなことを言えたのか。むつ美は美知代を恨んでいたのではなく、変わってほしいと思っていたからあそこまで言った?もし、むつ美が自ら行動して自分を変えていたら、美知代に言い詰めることもなかった?それか、いつだって自分を変えるのはこのような偶然の出来事なのだろうか。

一章では、美知代の思考が自分と似ていると感じた。また、むつ美とは違う思考なんだと思った。しかし二章を読むと、自分の思考がむつ美とかなりにていると感じた。容姿の良い人を見て、自分とは違う、こういう人しか人前に立てないと思ったり、そういう人を見て自分は人間ではないのでは、人もどきだと感じたり。これは一章では美知代視点でむつ美を見ていたのに対して、二章ではむつ美視点だからだろう。正義の反対は正義とはこういうことなのだろう。人はそんなに変わらないのかな。それとも、朝井さんが人間の醜い部分の描写が上手いのか。

終わりまで一気に進んだ。3章は、よくわからなかった。過去の回想?や作り話?が混ざっていて、理解しにくかった。なぜだろう?まだ自分はつかさみたいなエリート街道を歩んだことがないから単純に理解できなかっただけかもしれないし、もう一回読み直せば理解できるかもしれない。もう一回読むべきかな?

ここから下は再読の感想

沖ノ原円と、むつ美の先輩のまどか?は同一人物ではないと思うけど、何か関係がありそう?

つかさの幼少期の回想?は妄想?それとも現実?章タイトルがダイヤのエースであることとも関係がある?

つかさが"魅力的な物語の種がまた、甘い匂いを発し始めていることを感じていた。"とあるので、円に嫉妬しているものだと思っていたのだけど、そうでもない?円のことは普通に尊敬しているし、ネットの批判に対しても反論?している。いまいちつかさの気持ちがわからない。これも自分がトップを経験したことが無いから気持ちがわからないのかな。

つかさの、ブログの下書きの文章は円の引退会見の日から毎日書き続けているらしい。内容が知りたいと思うが、ここは考察要素なのだろう。というか、引退会見の日よりも前からずっと書き続けているものだと思っていた。円の引退会見で気持ちが変わったのか、これまで抑えていた気持ちがあふれ出たのか。

黄色いストールをつかさの衣装に着けたという、実際の場面の話は本当の話なのか、作り物の話なのか分からなかった。最後にブログの文章になっていたので、ブログに書かれていることは作り物の物語だから嘘の話なのか?でも黄色いストールに関する何かは本当の話?

読了後の感想:
考察のしがいのある小説だなと感じた。

三章の最後でつかさが作ってきた物語の文章をすべて消すという場面があったが、この場面は、上記のLINEの既読をすぐつけないという話と関連して、印象操作を無くしてあるがままの自分をさらけ出そうという、作品全体の共通した結論を写した場面なのかなと思った。